三歳になった娘は伸び伸びと日々成長しているが、その成長を促してくれるのは年の近い子供の存在ではないのかと、最近気付いた次第。
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年明けから妻の実家で過ごさせていただいている。妻のお姉さんが子供たちを連れて帰郷されていて、六歳と四歳の子たちと毎日のように娘は遊んでいた。
今日は僕と妻、お姉さんと子供たちで散歩に出かけた。
まぁなんというか、子供たちは散歩が大好きである。それは都市部に住んでようが、こうした山間部の子供だろうが関係ないのだろうと思う。
また、うちの実家は山間部ではあるが、地味に交通量があるため、車が少なく安心して歩かせられる妻の実家は子供たちと遊ぶには向いている。
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途中落ち葉の中を歩いたり、木の棒を探して取り合いになったりとよくもまあそんなことに全力を傾けれるなと、遊びに対する真剣さに感心させられてる時、道の脇の山の斜面の前で足が止まった。
その通り。
彼らは山の斜面に真剣に挑むのである。
妻は昼寝の時間を気にして早く帰りたいと申すが、子供たちにはそんなの関係ないのだ。
まずは一番年上のねぇねが挑み、続けてにぃにが挑む。
傾斜は40度はありそうで、娘には少々厳しそうだ。
順番を待ってはいるが、さすがに諦めるんじゃないかと放っておくと、ねぇねとにぃにの真似をしてなんと登っていくではないか。
さすがに二人ほど高くは登れないが、この挑戦する意思はやはり年上のねぇねとにぃにに触発されたものと思われる。
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普段から娘は年齢より少し上の遊具で遊んだりするなど、日々の体力トレーニングには励んでいた(妻談)。それがこのたびの山の斜面に挑むという姿勢に繋がったのだと思われる。
しかし、娘一人であれば登ったかどうかは分からない。ねぇねとにぃにの存在があったればこそだ。
この少し年上で、しかも少し体力面で上回る存在というのが、娘の成長にいかに大事かが分かる。
個人のトレーニングはもちろん大事だが、追い付きたいと思わせてくれる存在はやはり大きい。
当時、先輩が投げるドッジボールの速さに大騒ぎしていた。投げられたボールは回転せずに真っ直ぐに自分目掛けて飛んでくる様は、恐怖であるが、キャッチすることが何よりのステータスとなっていた小学生時代を思い出した。
社会人になった今でもそうだ。
米は収量が多ければ良いというわけではないが、無肥料で8俵を越す農家の存在は大きい。その方に昨年奈良県まで行って初めてお会いしたが、農家として当たり前のことを当たり前にやっておられ、種籾一粒の命をまっとうさせるという、命に向き合っている姿勢に感動させられた。
家族経営のため、切磋琢磨する同年代の人間はいないが、目を外に向ければすごい御仁がたくさんおられる。そういう方に接することが、モチベーションの維持に繋がるし、自信の成長につながっていると言える。
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写真を撮る時の決めポーズをどこで覚えたのか、やけにセクシーに決めてくる。それもやはり年上のねぇねからである。
年上の存在はいろんな意味で大きい。