2018年 12月 26日
草抜きは小さいうちから、種を落とさないことが鉄則なのはお墓周りも同じ
日本の土地で草一本生やしたくない!と思われている場所の一位か二位に入ってんじゃないかと思われるのが、お墓周り。
そんなお墓の掃除をしてきて感じたことをば。
植木の側で成長する草たち
お墓掃除を兼ねて、年内最後のお墓参りに行ってきた。
お墓掃除の基本的なことは、花立や水鉢の水の入れ替え、墓石磨き、そして草抜きです。
砂利の隙間から生えている草を抜きます。
墓石近くで生えてくる草に対しては、除草剤を効かせることが出来るのですが、やっかいなのは植木周りの草。
ここは手で抜くしかない。
今シーズン何度かあった温かい日に発芽したのであろうその草たちは、植木の元でゆっくりとだが確実に大きくなってきていた。
手で簡単に引っこ抜けれるのでなんてことはないが、ここから種が落ち更に増えていくことを考えれば早めに手を打つのがよろしい。
砂利の効果は長くは続かない
見た目のそれほど、実は砂利の抑草効果は長くは期待出来ない。
年数とともにまた踏まれることで、砂利は地下に埋没していく。
結構な厚さでまいても意外と光は届くもので草は発芽してくる。
そのため、除草剤を使って草の発生を極力抑えるようにするのが一般的。
うちもそうしています。
田んぼには除草剤をしないのに、お墓には撒くのかと自問自答をその都度することになり、「農家の都合」を考えることになる。
「農家の都合」とは、この場合草を手で抜く手間をかけるかどうか、ということ。
田んぼへの除草剤散布は良識ある農家なら、好んでしている人はいない、はずである。
撒かずにすむならそれが良いと思っているが、「農家の都合」で撒かざるをえない。
草を抜く手間と販売価格を考えればそれは「仕方がない」ことと考えるのが一般的である。
しかし、中には「農家の都合」を潔く捨てて、草抜きの技術研鑽に努めている農家が存在している。
彼らが意識しているのは「消費者の都合」である。
つまり自分の作ったものを食べてくれる人がどういうものを食べたいのかを察しようとする意識である。
「農家の都合」は言い換えれば「自分の都合」とも言える。「消費者の都合」は「他者の都合」と言える。
「農家の都合」を全面に主張し過ぎてもいけないし、「消費者の都合」ばかり優先していても経営が立ち行かないことにもなりかねない。
米作りの現場において除草剤散布の可否ほど、農家の意識が如実に現れる作業はないと僕は思っている。
何の話だっけ。
そうそうお墓の掃除のことだ。
僕は米作りにおける除草剤を撒く撒かないの議論は既に終わっているが、お墓の草抜きに対しては未だに結論が出せていない。
それは除草剤をまくことで得られるものは、「農家の都合」ならぬ「自分の都合」が100%だからだ。
田んぼであれば、除草剤を撒くことで生産性が上がり販売価格を出来るだけ下げることができ、そうしたお米を欲しがる消費者及び業者に寄与することが出来る。
そう考えれば、まだ自分を納得させることが出来る。
お墓掃除においてはどうか。
ただただ自分都合でしかないことが容易に理解出来る。
だから撒かないという選択肢はあるにはあるが、今のところそれを選べないのも正直なところ。
お墓周りはきれいに保ちたい
これは本当に自分勝手なんだけど、お墓周りはきれいに保ちたいんです。
しかも楽に。
何も生まない土地の一つではあるのだけど、だからこそ、手をかけずに済ませたい。
それもひとまず、僕の両親が生きている間は、と付け加えておく。
草が生えているという景観が受け入れられ難い土地があるという現実がある。
その一つが墓地である。
ちょっと草が生えてても、きちんと管理していないと思われる。
それが墓地。
僕も確かにセイタカアワダチソウが氾濫している墓地はさすがにどうにかしろよと言いたくなるし、僕自身が眠った後にそんな有様になるのは勘弁してもらいたい気がする。
ただ、草に対して「1か0」で考えるには今後無理が出てくるのは間違いない。
草は根こそぎ抜かずに、適度な高さで管理すれば比較的暴れずに落ち着く傾向がある。
僕が眠った後は、そんな草との付き合い方が出来る世の中になっていればいいなと思う。
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